都築響一『TOKYO STYLE』電子書籍版@東京アートブックフェア

寺田倉庫で開催されている東京アートブックフェアに行ってきた。

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カメラマン・編集者の都築響一さんのブースでリリースされたばかりの電子書籍版『TOKYO STYLE』に惹きつけられた。『TOKYO STYLE』は東京で暮らす人々の部屋をありのままに撮影して話題になった写真集。布団が敷かれた畳の部屋にスピーカーとギターが置かれ、ジーンズとTシャツに囲まれた表紙に『TOKYO STYLE』の赤いタイトル文字はかなりインパクトがあった。

ファッション雑誌でオシャレなインテリアが次々に紹介される中、4畳半一間のアパートの部屋には生活観という言葉を超えたリアルな個性があった。そこに部屋主は写っていないけれど、置かれたものや間取りから部屋主がどんな人なのか想像を掻き立てられ、存在を感じることができる。紛れもない『TOKYO STYLE』がこの写真集にはある。

しかし、大きくて重い写真集は見応えはあるけれど保管を考えるとなかなか手を出せない。文庫版は持ち運びには都合がいいけれど写真を見るには小さい。電子書籍はその点を解消している。私は引越しのたびに本を処分していて、もう一度読みたい本は買い直している。『TOKYO STYLE』は北海道から愛知県に引っ越すときに手放した。いつかもう一度手に入れたいと思っていたけれど価格とサイズがネックになっていた。

今回リリースされた電子書籍版『TOKYO STYLE』は新圧縮技術を使いカード型のUSBに収められている。パソコンで見る写真は、ただでさえリアルな部屋が更にリアルに生々しくよみがえる。拡大していくと本棚に並んだ本のタイトルが読めるほどだ。紙に印刷された写真からパソコンで見るデータに姿を変えても、都築さんが撮った写真には部屋主のライフスタイルがそのまま焼きつけられている。

小さなプラスチックケースに入ったカードにそのすべてが詰まっているから本棚のスペース問題も解消された。持ち運びも便利になった。ひとつひとつ手作業でコピーして作られているという家内工業的な制作工程もいい。自分の作品を届ける方法として見事な完成形だと思う。

価格は3500円。当時の写真集が中古でも結構高くて買えずにいた私にとって嬉しい価格。迷わず購入を決めた。あのころ夢中になった写真集が進化を遂げて帰ってきた。都築さんから直接購入できたことも嬉しい。そのとき交わした会話もいい思い出になった。引越しのたびに本を処分しているけれど、この『TOKYO STYLE』は手放す理由がない。今後何度引っ越してもずっと持ち続ける特別な一冊となった。何ならポケットに入れて新居に向かいたいと思う。

 

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心を動かされた映画に共通する4つのテーマ

高校へ行かずフリーターとして10代を過ごした私にとって、音楽と映画と本が教科書だったし友達だった。結婚の誓いではないけれど、健やかなるときも病めるときも、喜びのときも悲しみのときも、富めるときも貧しいときも、いつも一緒にいたのは音楽と映画と本だった。今日はその中で映画の話を書こうと思う。


今年観た映画で印象的だった作品

『無垢の祈り』
10歳のフミは学校でいじめられ、家では虐待されている。どこにも居場所がなく助けてくれる人もいない。町で起きている連続殺人事件の現場に行き犯人にメッセージを残す。フミが犯人に向けて「アイタイ」と書くチョークの文字、容赦なく繰り返される暴力、自転車に乗るシーンの開放感、夏なのに温度を感じさせない映像。息がつまり胸がはりさけそうだった。

『寝たきり疾走ラモーンズ
寝たきり芸人あそどっぐの日常を追ったドキュメンタリー。お笑いライブや打ち上げ、芸人仲間へのインタビュー、ネットに投稿する動画の撮影風景、ヘルパーさんによる介助の様子、障害者であることを活かしたネタの数々。自分の人生を引き受けて全力疾走する生き様に笑いと涙がこぼれた。監督の目線も言葉も態度もニュートラルで、どう感じるかを観る者に任せている。任せながらもエンディング曲で思いをぶつけてきてグッときた。

『ゴンドラ』
11歳のかがりは母親と二人で瀟洒なマンションに暮らしている。高層ビルの窓ガラス拭きをする青年との出会い、ペットの文鳥の死、音叉とメトロノーム、母が大切にしている弁当箱、下北半島への旅。母子家庭の一人っ子という設定に自分を重ね合わせて心が乱れたけれど、美しい映像が救ってくれた。

『光』
視力を失いつつあるカメラマン雅哉と映画の音声ガイドの仕事をしている美佐子。二人それぞれの苦悩と心の動きが劇中映画『その砂の行方』とともに描かれる。多くの人が行き交う街の雑踏や風で揺れる木々や階段を下りる音など聴覚に響くシーンがいくつもあり、耳に残る映画でもあった。

パーフェクト・レボリューション
重度の身体障害があり車椅子生活を送っているクマと心に障害を持つソープ嬢のミツ。お互いを支えあいながら困難を乗り越え世界を広げていこうとする恋愛物語。ミツのエキセントリックな言動は純度の高いピュアさだと思った。不運を嘆かず「受け入れることのプロフェッショナルだ」というクマの言葉に心を打たれた。監督が「相当こだわった」という音楽もよかった。

『ヴィヴィアン武装ジェット』 
夫を亡くしたショックから妄想にとりつかたヴィヴィアンと引きこもりの山本。二人が痴呆症の玄太郎と出会ったことで敵と戦うことになる。血と涙にまみれたナンセンスとバイオレンスの連続。社会の仕組みや誰かに合わせるのではなく自分の価値観で愛を貫く人たちの物語。登場人物や台詞が過剰で独特。ラストシーンで泣いてエンディング曲でまた泣いた。

心を動かされた映画に共通するテーマ

こうやって印象に残った映画をあげてみて気づいたのは、私は「家族」「喪失」「障害」「希望」というものに心を動ごかされるんだなということ。そして、行き場のない思いを抱きながらも必死に生きている人たちや、逃げたり立ち向かったりしながら今を乗り越えようとする人たちに惹かれるんだと思った。

どの映画にも主人公をなんとかしようする人がちゃんと登場して(たとえそれがどんな結末でも)、私も希望を持って生きてもいいかなと思わせてくれた。映画はそういうものであってほしい。

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父親のことを「お父さん」と呼んだことがない

子供のころ、車に乗る時は必ず後部座席に座らされた。でも一度だけ助手席に座らせてもらったことがある。そのとき助手席から見た父親の横顔が私の記憶にある最後の父親の姿。末期ガンで最後の旅行になることがわかっていたから助手席に私を座らせた、と後から知った。

 

生まれてすぐに両親が離婚をして、私は母親に引き取られた。母親からは「お父さんは死んだ」と聞かされいた。たまに会いにくる父親のことをずっと親戚か知り合いの優しいおじさんだと思っていた。だから私は実の父親と何度も会っていたのに「お父さん」と呼んだことがない。

 

父親はその後しばらくして亡くなった。告別式で母親が「私はいいけれどこの子は娘なので参列させてほしい」と言った。その瞬間あの優しいおじさんが父親だったことを知った。中1の夏休みだった。

 

なぜ「お父さんは死んだ」と教えられていたのか理由はわからない。親には親の考えがあって、すべてを子供に話さなくてもいいと思う。なんでも正直に話せばいいとは限らない。私にとっては、子供のころに誰だかわからいけれど優しくしてくれる人がいたことの方が大切だし、そのことをとても感謝している。

 

もし、あの世で父親に会えたら私はなんて呼べばいいのかわからないけれど(今更お父さんもないかなと思ったりする)、買ってくれた本を何度も繰り返し読んだことや、連れて行ってくれたレストランの食事が美味しかったことや、最後の旅行が楽しかったことを伝えたい。そして「いい人生を生きた」と胸を張って言いたいと思う。

 

生まれつきの赤い痣:単純性血管腫

私の右足のふくらはぎには生まれつき痣がある。手のひら程の赤い痣。Instagramにその写真を投稿した。「#単純性血管腫」と「#porwinestain」日本語と英語、二種類のハッシュタグをつけて投稿した。

「#単純性血管腫」で他にどんな投稿があるのか見てみると、小さな子供たちの写真がほとんど。特にレーザー治療の経過を投稿しているものが多い。レーザー治療には痛みが伴うと聞く。「消してあげたい」という親御さんの気持ちも伝わってきて胸が痛む。

私の母も私の痣を消そうと考えたことがあった。私が子供の頃は今のようにレーザーでなく、皮膚を移植する手術しかなかった。お尻の皮膚を痣の上に縫いつけると聞いて「そこまでしなきゃならないならこのままでいい」と思ったし、母にもそう伝えた。しばらくしてレーザーで消せると知ったときは、その金額に驚いて「そんなにかかるならこのままでいい」と思った。

思春期にはそれなりに思い悩んだこともあるけれど、今はもう自分の一部として認めている。思春期には悩みがつきもの。足の痣はそのひとつにすぎない。背の高さや顔の大きさや髪質で悩むのと同じことだ。
 
たまに「それ、どうしたの?」と聞かれることがある。ケガや火傷と間違われているんだと思う。「生まれつきなの」と答えると、相手は悪いことを聞いちゃったなというような表情を一瞬見せる。私は気にしていないし、痣のことを聞かれるのはいつものことで慣れているけれど、相手が申し訳ない気持ちになることが少し悲しい。

Instagramで「#porwinestain」と英名で検索すると、日本とは違って大人の写真が多い。そのほとんどが自撮りだ。自分の身体や顔の痣を撮影して投稿している。そこには、ありのままの自分を受け入れている人たちの生き生きとした姿がある。私はとても共感を覚える。あのとき母の思いに従わず、消さずにいた足の痣を誇らしく思う。
 
誰かにとって違和感があることでも、自分が自分らしさとして受け入れているのなら自信を持つことが大事だと思う。それが生まれつきなら尚のことだ。

 

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彼らが幸せにならなくて誰が幸せになれるのだろう:映画『パーフェクト・レボリューション』

9月29日から全国一斉公開される映画『パーフェクト・レボリューション』の先行上映に行ってきた。

パーフェクト・レボリューション』はクマ(リリー・フランキー)とミツ(清野菜名)が出会い、愛し合い、困難を乗り越えていくラブストーリー。
そんなド定番のラブストーリーが映画になるのは、クマが身体障害者で車椅子生活を送っていること、そしてミツが風俗嬢だからだ。マイノリティ同士が傷を舐めあうのではなく、お互いを支えあうことで世界を広げていく。愛の力を信じて精一杯生きる二人が幸せになることを心から願った。彼らが幸せにならなくて誰が幸せになれるのだろう、そんな気持ちでいっぱいだった。

映画はクマが書店で買い物をするシーンから始まる。車椅子のクマには高いところにある本に手が届かない。脚立に乗って本を探すミニスカートの書店員。クマはあれこれ指示を出しながらスカートの中を覗くことに成功する。車椅子というハンディを逆手に取った痛快なシーンだ。観客からも笑いが起きた。

障害があることを不幸なこととして描かず、笑えるエピソードから始まることで映画全体のムードが明るく楽しいものになっている。主人公のモデルである熊篠慶彦氏の体験に基づいたリアルなシーンと、映画ならではのファンタジックなシーンが織り交ざり、オープニングからラストまで一気に駆け抜ける。

一気に駆け抜けたあとに私は様々なことに思いを巡らせていた。そのひとつが「愛とセックス」についてだ。
(この映画の大きなテーマである障害者については、思うことがたくさんあるので別の機会に書こうと思う)

「障害者だって恋をするし、オナニーもするし、セックスだってしたい」

講演会で自らの性欲についてユーモアを交えながら話すクマに向かって、ミツが「愛についてはどうですか?」と問う。クマとミツのファーストコンタクトのシーンだ。ミツはソープ嬢、言ってみれば愛のないセックスのプロである。愛のないセックスを日常的に行っている者が「愛がないと意味がないことだ」と言い切る。しかも人前で堂々と。そこには真っ直ぐな気持ちが込められていて、「仕事と私生活は別」というだけではないような気がした。彼女が突きつけた問いが刺さった。

多くの人が愛とセックスを結びつけて考え、切り離すことができないものだと思っている。愛のないセックスは虚しいものだ、愛する人としかしてはいけない、愛しているからしたい。たしかにそういう一面もあると思う。愛があるからこそ深まることもあるだろう。しかし、愛とセックスを結び付けているために苦悩している人がいるのも事実だ。パートナーとのセックスレス、浮気、不倫の悩みは「愛とセックスは別」という考え方ができれば解決するのではないだろうか。

体の欲求と心の欲求は常に一緒にあるわけではない。人それぞれ体のつくりが違うし、相性や条件や好みもあるだろう。そこへもってきて愛という個人差のある気持ちを加えて、心も体も満たされようとするのは並大抵のことではない。私にとって、「パートナーとの愛のあるセックスで満たされること」はとても贅沢なことのように感じる。「美味しくて、サービスがよくて、リーズナブルで、家から近くて、予約なしで入れて、年中無休24時間営業の居心地のいいレストラン」をみつけるくらい奇跡的なことだと思う。

そんな奇跡的なことが映画の中では起きる。お互いを思い合い、無理解な者に立ち向かい、傷つき、助け合い、寄り添い、支え合う。キスもダンスもケンカもオナニーもセックスもするし、クラブにも海にも病院にも法事にも行く。二人にしかできないこと・二人だからできることがたくさん積み上げられていく。「愛」とはきっとこういうものなのかもしれないなと思った。

クマとの結婚を夢見ながらミツは風俗嬢を続ける。そのことをクマもミツもポジティブに受け入れている。「愛のあるセックス」と「愛のないセックス」を両立させることができていて理想的だなと思った。多くの人が割り切れずにいることを容易く受け入れている二人がとても眩しかった。

車椅子に乗った50歳と派手な格好をした25歳の年の差カップルのキスシーンを思い出しながら、私はまだまだ彼らの領域からは遠いところにいるなーと思っている。

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「縛られてみたい」女性が思わず口にするHajime Kinokoの緊縛アート

緊縛。縄で身体を縛り身動きが取れないようにすること。一般的にはSMプレイのひとつとして捉えられている経験はなくても「亀甲縛り」という言葉を聞いたことがあるだろう 
 
緊縛を生業にした新進気鋭のアーティストがいる。 
Hajime Kinoko。ロープアーティスト、現代アーティスト、緊縛、フォトグラファー 
2006年、緊縛師「一鬼のこ(はじめきのこ)」としてデビュー。 
その活動は幅広く、フェティッシュバーやクラブで行われる様々なイベントでの緊縛ショー、DIESEL「CHRISTIAN DADA」などファッションブランドレセプションでのパフォーマンスインスタレーション週刊プレイボーイ」のグラビア、本好きが集まって感想を語り合う「読書会」でのSMショー、安全性と美しさを追求した緊縛講習会やプライベートレッスン、自らカメラを持ち撮影した写真の展示や写真集出版、2010年からは本格的に海外に進出し、フランス、イギリス、ドイツ、イタリア、オーストラリア、アメリカなど多くの国でワークショップとショーを行い、今もその活動の範囲はどんどん広がっている。 
 
私が緊縛という言葉からイメージしていたのは、作務衣姿にサングラスをかけたいイカツイ男性がか弱い女性を縛り上げ、鞭で叩き、蝋燭をたらす、そんな暴力的なイメージだった 
はじめて緊縛ショーに出会ったのは下北沢のライブハウス。「放送禁止」をテーマに掲げたイベントだった。そこで見た緊縛ショーはまさにイメージ通りで、作務衣にサングラスの男性が女性を縛り、鞭で叩き、蝋燭をたらした。まだ10代だった当時の私にはとても衝撃的なことだった。 
 
もう一度見たいと思ったけれど、どこへ行けば見ることができるのかわからなかった。どこか特別な場所、例えばSM愛好家が多く集まるお店や劇場へ行かなければならないと思った。興味はあるけどそこまで調べる方法が思いつかなかったし、周りに聞ける人もいなかった。その思いを何年も持ち続けていた 
 
8年前、友人の紹介で知り合ったカメラマンフェティッシュバーに連れて行ってくれた。入口のインターホンを押すと中からスタッフが応答する。顔を確認するためだろうモニターがついている。カメラマンが名前を言うと自動ドアが開いた。生まれて初めて行った会員制のフェティッシュバー、そこのマスターがHajime Kinokoだった。 
 
週末になるとイベントが行われていて、そこでHajime Kinoko氏の緊縛ショーをはじめて見た。衝撃だった。10代の衝撃とは違う衝撃だった。あのときは女性をいたぶる荒々しい姿に驚いただけだったされるがままの女性の胸や腰に食い込む縄や響き渡る鞭の音にビックリしただけだった。Hajime Kinoko氏の緊縛は違った。なにもかもが美しかった。 
 
モデルの見事なプロポーション驚くほど美しかった。美しい肢体をさらに美しく見せる赤い麻縄。白い肌にたらされていく赤い蝋燭のライン。二人が作り上げる世界に圧倒された。 
 
緊縛=SMというイメージがあるが、Hajime Kinoko氏の緊縛からはアート性の高さがうかがえる。そのためかHajime Kinoko氏の緊縛を見た女性の多くが「縛られてみたい」と言うMではないノーマルな女性たちが言うのだ。縛られる女性を見て「痛そう」ではなく「キレイ」だと感じるのだろう。緊縛が必ずしも被虐行為ではないということをHajime Kinoko氏の緊縛は教えてくれる。 
 
緊縛の歴史は江戸時代に罪人を拘束することから始まった。捕らえた罪人が暴れないように、しかし死んでしまわないように研究された。捕縄術という日本の武術のひとつだ。海外では縄が使われることがなく手錠が使われた。日本独特の文化である緊縛は「KINBAKU」として海を渡っている。そして拘束のための緊縛ではなく新しいアートとして捉えられ始めている。 
 
Hajime Kinoko氏は言う「アートとしての縛りを確立したい」と。 
そのために多くの人たちに見てもらうことを考えて、常に新しい表現方法を生み出している。ため息が出るほどエロティックなもの思わず笑ってしまうコミカルなもの、絵画をモチーフにしたものなど多岐に渡る。モデルも裸の女性だけでない。ポップな服を着たカワイイ女の子、個性的なおじさん、体重100kg超の女性、妊婦、ミュージシャン人だけではない、富士の樹海の木や大きな岩を縛ったこともあるほどだ 
 
今年8月には、アメリカネバダ年に一度開催されるビッグイベント「Burning Man」にオフィシャルアーティストとして助成金を受け参加した。40名を超える世界中の緊縛仲間たちと一緒に巨大なインスタレーションと純和風な緊縛を披露したそうだ。電気、ガス、水道といったライフラインもなく、電話もネットも繋がらない砂漠のど真ん中で、「アートとしての緊縛」に挑んだ。

これからも、ストイックさとチャレンジ精神
から生み出される見たことのない新しい作品なによりあのチャーミングな笑顔で多くの人を魅了することだろう。 

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DEPARTMENT-H あらゆる個性を受け止める寛容の世界

毎月第一土曜日、鶯谷にある東京キネマ倶楽部で開催されている「DEPARTMENT-H 2099」通称「デパH(デパチ)」
その歴史は古く、20年以上も続いているという。 
オーガナイザーはイラストレーターのゴッホ今泉氏。アメコミタッチのイラストで知られ、最近では有名メーカーの競泳水着やコンビニのキャラクターデザインを手がけている。デパHのフライヤーもゴッホ氏によるイラストが使われ、毎回楽しみにコレクションしているファンも多い。 

 
私がデパHに行ってみたいと思うようになったのは、身近にデパHに行っている人たちがいたからだ。「この前デパHでこんなことがあった」「誰々と会った」「あのショーがよかった」という会話が聞こえるようになり、ポップなイラストのフライヤーを集めるようになった。そして「いつかは行ってみたい場所」になった。 
 
ネットで見る写真や動画はどれも奇抜なファッションに身を包んだ自分とは違う人たちばかり。ここへ飛び込むには勇気がいるなと思った。浮いてしまうんじゃないか?場違いな思いをするんじゃないか?そう思った。それでも行ってみたいという好奇心だけは抑えることができなかった。 
 
あるとき、一緒に行こうと誘ってくれた人がいた。これを逃したら行けないかもしれないと思い、次のデパHに行く約束をした。手に入れたばかりの水色のランジェリーで行こうと決めた。 
 
しかし当日、約束の時間になっても相手は現れなかった。「先に入ってて」というメールを最後に音信が途絶えた。「どうしよう。困ったな」山手線のホームで途方に暮れてしまった。バッグの中には水色のランジェリーが入っている。最小限にしか身体を包まない、薄く透け透けの心許ない、エロいだけの下着。だけどこれが自分を守る防御服にも思えたし、戦闘服のようにも思えた。これがあれば一人でも大丈夫だ。意を決して鶯谷に向かった。 

 
会場に入るとネットや雑誌で見たことのある人たちがたくさんいた。カジュアルな格好をしている人もたくさんいて、なんだかとても安心した。
「写真を撮らせてもらえませんか?」と声をかけてくる人がいた。私もいろんな人と写真を撮らせてもらった。そのとき撮った写真にはスッピンで露出度の高い下着を着て楽しそうに笑う私がいる。 
 
デパHに集まるのは様々な趣味・嗜好をもつ「変態」と呼ばれる人たち。 
可愛らしいワンピースを着た男性、鞭を手にピンヒールブーツで闊歩する女王様、首輪をつけ胸に奴隷と書かれたM男、全身タイツで頭も顔も体もすっぽりと覆われたゼンタイ(全身タイツ)マニア、ゴム素材のマスクや服を纏うラバリスト、コスプレ、着ぐるみ、ピアス、タトゥー。さながら「変態の見本市」といった様相だ。 

 
フライヤーにある「キッチュでキャンプでヒップでパンクでモンドな方、皆様を驚愕せしめる装いの方大歓迎致します。」という言葉通り、深夜0時近くなると会場周辺にはそれらしい人たちが集まってくる。 
入場を待つ列に並ぶと日本語と英語で書かれた注意書きが配られる。写真撮影や喫煙などに関する注意事項が書いてある。 

建物に入る前にIDチェックがある。20歳未満は入場できない。どこからどう見ても20歳以上だとわかる人でも写真つきの身分証明書がなければ絶対に入ることはできない。 
 
入場料は三段階に分かれていて、フライヤーを持参すると500円引き、ドレスコードは2000円引きになる。どんな装いかチェックされ「OK」がもらえるとドレスコード料金で入場できる。 

 
更衣室が用意されているから会場に入ってから着替えることもできるが(ドレスコードの場合は「これに着替えます」と入口で申告する)、「このまま来た」という人も少なくない。以前デパHのお客さんで化粧をしてセーラー服を着たおじさんが電車に乗るのを見たことがある。そのことがあってから電車で奇抜な格好をしている人を見かけると「なにか楽しいイベントにでも行くのかな?それとも帰りかな?」と思うようになった。 
 
1Fには大きなステージがあり、ストリップ、キャットファイト、ポールダンス、緊縛、歌や楽器演奏などのショーを観ることができる。2Fにはソファがありゆったり過ごせるようになっている。全身タイツブース、ラバーブースが設けられ仲間同士のコミュニケーションを楽しむ姿がうかがえる。 
 
さぞやドロドロした雰囲気なのかと思いきや、そこには健全な空気が満ちていて、秩序が守られている。それは、お互いの嗜好は違ってもお互いを尊重しあっているからだと思う。 
 
場所を変えながらも20年以上続いているのにはワケがある。
ひとつは、ホステスを務めるドラァグクイーンの存在だ。 

デパHはドラァグクイーンの紹介から始まる。ステージを歩きポーズを決める姿はまるでファッションショーのようだ。カラフルなウィッグ、羽のついた大きなヘッドドレス、長いつけまつげ、ユーモアとゴージャスが絶妙にミックスされたメイクと衣装に度肝を抜かれる。無表情でランウェイを歩くショーモデルと違い、思い思いの表情でアピールするドラァグクイーンたちには全身で自分になりきる晴れ晴れしさがある。
フロアに下りれば気さくに写真撮影に応じ、会話を楽しみ、トラブルが起きればすぐに対応してくれる。 
 
優しさと強さを併せ持つドラァグクイーンたちこそまさに、デパHという場所の価値を象徴する存在であるように思える。自分と違う人を排除することなく、自分にとって居心地のいい場所を大切にしたいという思いを、ここに集まる人はみな持っている。 

 
そして、集まる変態たちのデパHというサロンを大切にしたいと思う気持ちと他者に対する寛容さ。 
これが明るく健全な雰囲気を作っているし、好きな自分でいられる場所を守るために、そこに集まる自分とは違う人たちを認める。そんな気持ちがあふれている。 
 
ネットでは見たくないことはブロックし、見せたくないことには鍵をかけ、自分の世界を守ろうとすることがある。たぶんそれには一定の効果があると思う。と同時に見たくないことしか見えず、見てもらいたいことだけしか見せられない世界だと思う。 

 
デパHにはブロック機能はない。あるのは「人の嫌がることはしない」という最低限のルールだ。 
「人の嫌がることとはなんだろう?」と考えてみると人それぞれ嫌がることが違うことに気づく。鞭で叩かれて喜ぶ人もいれば嫌がる人もいる。写真NGの人もいれば撮られたくてたまらない人もいる。人それぞれだ。そのためにはまずは自分は何が嫌なのかを考えなければならない。そこから見えてくるのは「自分は自分。人は人」ということだ。自分は人とは違うんだということに思い至るのは簡単なことではない。頭ではわかってるつもりでも実感として持つことは難しい。だけどそれはコミュニケーションの基本だ。 

 
多様性=幅広く性質の異なる群が存在すること。 
デパHは性質の異なる群が存在している。そこにある寛容の精神から学ぶことは多い。 
 
「デパートメントHはクラブやディスコティックではありません。コミュニケーションを目的としたサロンであり、お酒や踊りの苦手な人のために開かれたパーティーです。」 
フライヤーに記されている言葉に誘われて月に一度のパーティーに行ってみるのもいいかもしれない。私は何度も行った。これから何度も行くだろう。コミュニケーションするために、自分らしいドレスコードを楽しみながら、きっと何度も行くだろう。

 

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