彼らが幸せにならなくて誰が幸せになれるのだろう:映画『パーフェクト・レボリューション』

9月29日から全国一斉公開される映画『パーフェクト・レボリューション』の先行上映に行ってきた。

パーフェクト・レボリューション』はクマ(リリー・フランキー)とミツ(清野菜名)が出会い、愛し合い、困難を乗り越えていくラブストーリー。
そんなド定番のラブストーリーが映画になるのは、クマが身体障害者で車椅子生活を送っていること、そしてミツが風俗嬢だからだ。マイノリティ同士が傷を舐めあうのではなく、お互いを支えあうことで世界を広げていく。愛の力を信じて精一杯生きる二人が幸せになることを心から願った。彼らが幸せにならなくて誰が幸せになれるのだろう、そんな気持ちでいっぱいだった。

映画はクマが書店で買い物をするシーンから始まる。車椅子のクマには高いところにある本に手が届かない。脚立に乗って本を探すミニスカートの書店員。クマはあれこれ指示を出しながらスカートの中を覗くことに成功する。車椅子というハンディを逆手に取った痛快なシーンだ。観客からも笑いが起きた。

障害があることを不幸なこととして描かず、笑えるエピソードから始まることで映画全体のムードが明るく楽しいものになっている。主人公のモデルである熊篠慶彦氏の体験に基づいたリアルなシーンと、映画ならではのファンタジックなシーンが織り交ざり、オープニングからラストまで一気に駆け抜ける。

一気に駆け抜けたあとに私は様々なことに思いを巡らせていた。そのひとつが「愛とセックス」についてだ。
(この映画の大きなテーマである障害者については、思うことがたくさんあるので別の機会に書こうと思う)

「障害者だって恋をするし、オナニーもするし、セックスだってしたい」

講演会で自らの性欲についてユーモアを交えながら話すクマに向かって、ミツが「愛についてはどうですか?」と問う。クマとミツのファーストコンタクトのシーンだ。ミツはソープ嬢、言ってみれば愛のないセックスのプロである。愛のないセックスを日常的に行っている者が「愛がないと意味がないことだ」と言い切る。しかも人前で堂々と。そこには真っ直ぐな気持ちが込められていて、「仕事と私生活は別」というだけではないような気がした。彼女が突きつけた問いが刺さった。

多くの人が愛とセックスを結びつけて考え、切り離すことができないものだと思っている。愛のないセックスは虚しいものだ、愛する人としかしてはいけない、愛しているからしたい。たしかにそういう一面もあると思う。愛があるからこそ深まることもあるだろう。しかし、愛とセックスを結び付けているために苦悩している人がいるのも事実だ。パートナーとのセックスレス、浮気、不倫の悩みは「愛とセックスは別」という考え方ができれば解決するのではないだろうか。

体の欲求と心の欲求は常に一緒にあるわけではない。人それぞれ体のつくりが違うし、相性や条件や好みもあるだろう。そこへもってきて愛という個人差のある気持ちを加えて、心も体も満たされようとするのは並大抵のことではない。私にとって、「パートナーとの愛のあるセックスで満たされること」はとても贅沢なことのように感じる。「美味しくて、サービスがよくて、リーズナブルで、家から近くて、予約なしで入れて、年中無休24時間営業の居心地のいいレストラン」をみつけるくらい奇跡的なことだと思う。

そんな奇跡的なことが映画の中では起きる。お互いを思い合い、無理解な者に立ち向かい、傷つき、助け合い、寄り添い、支え合う。キスもダンスもケンカもオナニーもセックスもするし、クラブにも海にも病院にも法事にも行く。二人にしかできないこと・二人だからできることがたくさん積み上げられていく。「愛」とはきっとこういうものなのかもしれないなと思った。

クマとの結婚を夢見ながらミツは風俗嬢を続ける。そのことをクマもミツもポジティブに受け入れている。「愛のあるセックス」と「愛のないセックス」を両立させることができていて理想的だなと思った。多くの人が割り切れずにいることを容易く受け入れている二人がとても眩しかった。

車椅子に乗った50歳と派手な格好をした25歳の年の差カップルのキスシーンを思い出しながら、私はまだまだ彼らの領域からは遠いところにいるなーと思っている。

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